もうモノは増やさない、あるものは使い切ったり、使わないものは処分しよう。
そんなことを意識し始めてから早2年半ほどが経っています。
私がモノに対する考えを見直したのは、長女と一緒に暮らす時間が残り少ないと感じ始めてから。
モノを買うこと、所有することに心を捕らわれるのをやめようと思ったからです。
(過去記事:子供と過ごす残り時間を見つめたら、モノに対する考え方が変わった)
そうして、自分にはもう必要のないものを捨てたり、あるものを使い切ることをしているうちに、この頃また違う心境がやってきた気がします。
掃除は、早くて楽なのがいい
徐々にモノが減ってきていて、まだ完全ではないけれど、持ち物は激減しました。
特に洋服は半分以下になって来ています。
まだまだ、多いなとは思いつつ、季節が巡って衣替えをするときに少しずつ手離しています。
見える場所も、見えない場所(収納や引き出しの中)も空間が増えて風通しが良くなってきました。
蓋が閉まらない、閉まりにくい収納や引き出しはなくなって、物の出し入れがとっても快適。
家具もいくつか処分したので、見えている床の面積が増えてすっきりしているし、何といっても掃除が楽なんですね。
いちいちモノをよけて掃除機をかけたりしなくていい。
忙しくて掃除機を乱暴にかける日があったとしても、ちゃんと隅々まで掃除機が届いている。
掃除や収納に手間取らない、ストレスなくすぐに終わるってやはり快適です。
使いきった先に感じたこと
衣類、日用品、文房具などの消耗して行くものは出来るだけ新しいものを買わずに、まずはあるものを使ってしまおうと意識して来ました。
これを、2年半もやって。
洋服の中からもう着そうにないものを部屋着にしたりしつつ、インナーや靴下、部屋着などは使用頻度が高いので、いい具合にダメになり処分と言うサイクルを順調に回すことができました。
徐々に消耗の早いものは寿命を終えて、今使っているものが痛んで来て、次にスタンバイしているものが無い!! と言う状況がやって来ました。
あぁ、やっとこの時が来たのね!!
何かがダメになったら次には新しいものを買うということです。
嬉しいやら、ちょっと出費が気になるやら・・・。
数日前、この靴下そろそろおしまいかなと自分の足元を眺めた時にふと思いました。
もうちょっと履けるかな?、いや、もう捨ててもいいかな? と考えたあとのことです。
その日の私は、
・もうちょっと履けるかな → 我慢
・もう捨ててもいいかな → 本心
・新しいのを買おうかな → 本心
という気持ちを持っていましたが、私の本心に気が付いたときに思いました。
そっか、こういう時のためにお金ってあるんだ。
私自身を喜ばせるために。
ひとつの、例えば衣服、靴、鞄、コーヒーカップ・・・
仮に大切に長年使っていたとしても、壊れてやむなくであったり、ある時急にそれにときめきを感じなくなったり、色あせてみすぼらしく見えてしまったりする時があります。
もう、いいかな。
そう感じたときが、本当に手離すときなんですね。
手離してまた新しいものを手にして、それをまた「もう、いいかな」と思うまで大切に扱う。
要らないものが数ばかりあった時には、その気持ちを忘れていました。
物がたくさんある状態は、時に、ストレス解消であったり何かを埋めるためにモノで囲まれた状態にしてしまうときもあります。
もともとモノが多い方がいい人もいますが、もしも少しでも捨ててみてモノが減った状態が心地よいと感じるのであれば、本来はモノをあまり持たなくてもいい人だったのでしょう。
最小限の、少数精鋭のお気に入りだけに囲まれて暮らし、最後まで使う。
最後まで使ったら、新たな気持ちで大切なお金を使って、新しいお気に入りを迎える。
これをゆっくりと、地に足を付けて繰り返して行く。
それは、物体であっても、消耗品であっても、食べ物であっても同じであり、尚且つそのゆっくりと落ち着いたサイクルが心を穏やかにしていくのだろうと思います。
最後に
ミニマリストの方がモノを減らすと気持ちやものの考え方が変わるとよく言いますが、本当にその通りです。
私はまだまだミニマリストと呼ぶほどモノは少なくないし、そのテンポもゆっくりマイペースです。
ただ、モノを減らしたり使い切ったりして行く中で、思考が徐々にシンプルに単純になって行っているのがわかります。
まるで、目に映る光景が心模様であるかのように。
徐々に空気が冷えて来て、北海道は既に秋です。
半袖の洋服を仕舞って長袖を出しながら、また洋服を選別してみましょう。
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